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教信寺 (加古川市) : ミニ英和和英辞書
教信寺 (加古川市)[きょうしんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古川 : [ふるかわ]
 【名詞】 1. old river 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [し]
  1. (n-suf) city 

教信寺 (加古川市) : ウィキペディア日本語版
教信寺 (加古川市)[きょうしんじ]

教信寺(きょうしんじ)とは、天台宗の寺院である。山号は念仏山である。播州薬師霊場の8番札所である。わがまち加古川60選のNo.19に選ばれている。
== 縁起 ==
教信寺は称名念仏の創始者である教信によって開基された。教信は、興福寺の僧であったが、奈良の貴族仏教に満足できず、各地を放浪し、現在の加古川市野口町にあった賀古駅家(かこのうまや)の北辺に庵を建て、ここを永住の地とした。阿弥陀仏の称名に明け暮れると共に、西国街道の旅人の荷物運び、農耕の手伝い、駅ヶ池の造成など行った。教信の入寂後、遺言により亡骸は野に置かれた。体は鳥獣に食われていたが、首から上は無傷の状態であった。その説話を今に伝えるよう教信の頭像である沙弥教信上人頭像が作成され、開山堂の本尊とされている〔頭だけ残る本尊上人像 教信寺 〕。
室町時代には堂宇13僧坊48を数える大伽藍(寺伝)になっていたが、戦国時代、毛利勢と羽柴秀吉勢との激戦の地となった。1578年天正6年)春に兵火により全焼し、1642年寛永19年)現在の寺領の姿にまで復興した。幕末期に、再び本堂を焼失したが、1880年明治13年)書写山円教寺の念仏道場を移築し、現本堂とした。
中世から江戸幕末まで浄土宗西山禅林寺派であったが、明治初期の文明開化による廃仏毀釈や廃藩置県の政策で衰退した仏教寺院から復興するご縁で当山は天台宗に改宗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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